トキオの山奥、二度目の春

こんな風にしてると前期ハマ時代をふと思い出すが

このうちで暮らしてそろそろ一年だよ、キャッツよ・・・
母のこと――
先月は母のグループホーム入居記事アップの際、
沢山の返事を本当にありがとうございました!
どのコメントもそう!全くその通り!と賛同してしまう意見、
そうだったんだ・・・と考えさせられる意見ばかりで、
一つ、一つ、丁寧に読ませてもらいました。
先月ですが、ホーム入居後の母と初めて会いました。
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母と会ったのはホーム入居後、一ヶ月近く経った頃だった。
入居時、会うのは母が落ち着いてからにしてからの方がいい、
という職員の意見には私らも賛成だった。
当時、母に大悪人、大泥棒扱いされることが多かった私と叔母
(近所に住み、母の世話してくれてた10歳以上年下の妹)。
すぐに母に会いに行く気力はなかった。
ぼーっとしてることが増え、話しかけても反応薄く、会話にならない。
なのに、人を罵る時だけは信じられないほどの口達者に戻る母である。
会ったらなんと言われるかと大変不安だった。だから1月に入れていた
通院予約が、偶然入居後一ヶ月頃だったのは本当にありがたかった。
で、通院当日。
・・・・結局、母は何も言わなかった。
何か言うと返事だけはするが、それだけなのだ。
決して私が判らなかったわけじゃないけど。
その日、母が反応したことと言えば、帰りに母の好物だった
アイスミルクティーを買って渡した時、ひと口飲んで、
「あ、甘い」
とにっこり。唯一、母が感情を見せた瞬間だった。
この一年ほど母の世話をして、心底実感したのがこの言葉。即ち、
「介護はやった本人にしかわからない」
近所に兄弟姉妹がいても、どういうわけか一人だけが負担を背負う
ことになりがちだ(これ、他の人に聞いてもそうなると言われる)
少し前、TVで「一人暮らしで認知症でも、歩けるし、食事(の用意)も
も出来るから、介護認定2になりました」と言うのを聞き、あほか!と。
うちの母もそう。
やや鈍くなったとはいえ自分で歩けるし、自分で食べられる。
でもトイレの行き方がわからない。何十年も住んだうちなのに。
(「このうちにトイレあるの?」と聞かれることも)
お湯も沸かせない。でも健脚なので遠くの店まで歩いて行き、そして
同じ物を沢山買い込み、生ものを納戸にしまい、ベランダに置く・・・・
身体は健康な認知症の人は介護する人を振り回す。
疲労を感じる感覚が鈍くなってるから、延々歩くことが出来る。
散歩好きな母に付き合うと、こっちの方がヘトヘトになる。
母が色々出来なくなっていくことにはそれほど驚かなかった。
驚くのは「なんで?!なんでそんなことするの?!(又は出来るの?!)」
という予期せぬことをしでかすこと(その後始末には本当に泣いた)
多少、無理しなければ介護は出来ないが、やはり一人で頑張っちゃダメだ。
どこまで頑張れるかは当然、個人差がある。介護する人の性格、体力、
気力、経済力、置かれている状況はそれぞれ違うのだから。
母も最初は「ごめんね」「世話掛けるね」と私にたびたび言っていた。
が、年末頃から、腸煮えくり返るような言葉を頻繁に口にするようになった。
この人は出会った時点ですでに老いていた“おばあちゃん”ではない。
いくら認知症とわかっていても、この人は記憶の中の若い母とずーっと
繋がっている“私の母”なのだ。だから時折頭が冴え、ペラペラ罵られると
昔のように憎々しさ込み上げ、ケンカになってしまう・・・母だから、だ。
心身の不調に加え、母の態度はどうしたって意欲を低下させる。
とにかく、私はケアマネに頼った。
引っ越し後はおっとにも頼った(散歩、車で通院等)
まだ横浜に住んでる頃から、実家近所の役所を何度も訪ね、
あほになって、使えそうなことを片っ端から聞いておいた。
今年、母の入居が見学当日決まったのも、本当に何かの縁だったのか・・・
さて。次は忘れちゃいけない、自分自身の人生(そして老後)
短くも重く、大きく変化したこの一年をなんとか乗り越え、以前の生活が
戻ってきた・・・ようで、もはや戻ってはこない。二度と戻らない。
これからに向けての暮らし方を模索している最中です。
※言うまでもありませんが、ブログやTwitterで述べていることが全てではありません。
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