今日のキャッツと

お湯、ぐびぐび

昼寝場所は日向と日陰のハーフ&ハーフ

もふもふツヤツヤ、毛皮のズロース

姐、はるか彼方の和室で・・・

今日はカラッカラの晴天でありんした。
最近の母のこと。
先日、叔母と母のところへ――
母、介護認定3から5になりました。
漠然と、認知症で介護認定5と言うのは、完全に寝たきりで、
何も出来ず、意思の疎通もままならないような状態かな?
と考えていたら、そうじゃなかった。
母は自分で歩けるし、食事も自分で取れる。質問すると内容は
間違ってるが(子供の数を聞かれると「3人」と言う。1人多い)
なんとか会話は出来、意思を伝えられなくはない。
母は一人で歩けるが危なっかしいので、すぐ手を取れるよう
誰かが付き添わねばなない(杖は使い方を理解できず無理)。
食事中、自分が食事中なのを一瞬忘れて手が止まることが
あったり、箸は正しく使えても、食べ物でない物をつまんで
口に入れようとすることがあるため、常に見守りが必要…と。
母が何かを出来る出来ないではなく、母が何かする度に
人が関わる回数が増えたことが「5」になった理由らしい。
・・・・・・・
とはいえ、話は通じると言っても母の方からは全く喋らず、
そしてこのところ私の名前は思い出せないが、弟と叔母
(母の7人姉妹の末の妹)の名前は忘れたことがない・・・
ので、最近母を訪ねる時は叔母と一緒なことが多くなった。
しかしあの母が…真面目で、自分にも人にも厳しかった母が
こんな風になってしまうとは・・・という苦(にが)痛い
気持ちが母の顔を見る度に浮かんでしまうのは否めない。
そして自分の親のこういう様子を見て、もしかしたら、
いつか自分もこうなってしまうんじゃないか・・・・
という恐れを抱かない人がいるんだろうか?
私は怖い。ものすごく怖い。
人生の半分は過ぎたであろう年齢の現在の自分――
自分はあとどの位の時間、自分の頭で考えることが出来、
自由に体を動かせるのだろう?と最近毎日のように考える。
母の姿を見る度に、なんとも言い難い焦りを感じる。
今のうちに出来ることをやっておかねば、とも。
・・・・・・・

上の梅の切り絵のカードは、私が先月末、母に送ったもの。
母のいるホームでは「文字を書く機会を設ける」一環で、
月に一度、母は私に、私は母へと手紙を書き送っている。
母からの手紙の内容は、名前と簡単な言葉の羅列なのだが、
一度、不思議だな…と思ったことがある――
実は私の両親の名は似ている。
例えば、「裕子」と「裕次」のように。
母が自分の名前のつもりで書いた名前は父の名前だった。
母に父の名を聞いても「わからない」と言われるのに。
一年前、父の遺影を見て「この人誰?」と私に尋ねたのに・・・
今、母の部屋には母の両親と、父の若い頃の写真が置いてあるが、
これお父さんだよと言ってやると、たまに「うん」と頷くことがある。
先週、父の命日で父の墓参りへ行き、母がいつも供えてたビールを
供えてきた。今度母のところへ行く時に、そのことを話すつもりだ。
ちらっとでも父のことを思い出してくれるといいが・・・・。
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