長崎をゆく~出島【後編】

幕末の商社の石倉は、発掘調査時の
出土品を収めた考古館になっていて

植毛部分の長い歯ブラシ、ヘアーブラシは
骨製。ガラス瓶はオランダ製ジンボトル。
当時の日本人の口に洋酒は合わなかったが
瓶には注目、空瓶に絵付けしたりしてた🌸

これらは遊女たちのもの。
指輪や簪(の破片)はガラス製で、中国・
清の物。右の白い丸い物は紅皿・紅碗。
波佐見焼の器に大阪の紅を入れていた。
4年前、ブラタモリが[出島]の回の時、
かつての橋の取付辺りが発掘中で・・・
自分もその放映を見ていて、もしかして
その時のがあったりして…と思ったら、

ホントにあったよ( ̄▽ ̄)ノ
そういや1662年には出島内に伊万里焼の
店も開店。人気商品だったんだろなー。

リボルバーと聞くと、次元が浮かぶ。
実はカピタン部屋跡発掘時、埋めて隠され
てた錆び錆びの銃1挺と弾丸21発を発見。
幕末という時代故、護身用の銃とのこと。
3発の弾丸を込めたままの廃棄・・・謎。

とにかく興味深い、こういった解説。
考古館裏へ回り、植物園へ入ると

商館医シーボルトが先任の商館医の
偉業を称えて建てた記念碑がある。
気づけば、3時間位出島にいる私…
(まだ半分くらいしか観てない)
もう2時過ぎかー

これは1766~67年に滞在した
カステンス商館長設置の日時計
(の複製。実物は屋内にある)
その先にどーんとあるのが

実物の1/15のミニ出島。

今日、右の「水門」から入ったのだ↗
時間がなくなってきて、明治期の建物は

旧長崎内外クラブの外観を眺めたのみ。
グラバー氏の息子倉場富三郎の尽力で、
長崎の外国人と日本人の社交場を目的に
建てられたそう(現在はレストラン🍴)
ここで食事したかったな~
メインの通りの裏をぷらぷら歩いてたら

いきなり江戸。時代劇のセットみたい。
乙名部屋と呼ばれ、出島の日本人の
貿易及び管理事務所のような場所。

ここからの眺めは、二百年前と
変わってないような気がする…
さて、そろそろ出島の外へ

表門を出て、

2年前に完成した出島表門橋を渡る。
ブラタモリでは発掘中だった辺りで、

ミニ出島で言えば、右の白い石橋が
上の橋にあたる。昔は短かったなー
橋から川を見ると

魚がいっぱいいる。
一か所だが、ブラタモリを参考に、
岬の痕跡を示す石垣跡を見に行く。
・・・あった。
唐突に、ガツンと高低差。
タモリさん曰く、海食崖。

こここそが、かつての長い岬(=長崎)の
先端であり、石垣の下はすべて海だった。
所々に見える岬に沿って造られた石垣は、
正にここに地終わり海始まる場所を示す。
そのまま坂を上り、江戸町商店街へ

カステラの箸置きを買った店が

ここ。
列車の時刻(つか、本数)を
考えるとそろそろ帰らねば…
帰りはてくてく歩いて長崎駅へ

途中、期間限定いちごカステラ購入。
鈍行列車の車窓からの大村湾の
風景に感動しつつ家路へ・・・

あ、切符はちゃんと箱に入れましたから。

また行かねばな、出島
(ヘトル部屋で買った箸置き)
おしまい
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